樹とともに、生きる――シアバターのストーリー
現在のウガンダ共和国の領域には、かつては異なる文化や風習を持つたくさんの王国が栄えていました。そのため、日本の本州ほどの大きさですが、地域によって驚くほど多様な顔を見せます。首都カンパラから北西に車を走らせること4時間弱。かつて「ランゴ王国」が栄えた地域に入り、以前は首都が置かれ、現在もこの地方の中心地であるリラの街から、さらに車は北西に向かいます。
村に向かう土がむきだしの未舗装道路は、こと雨季にはトラブルがいっぱいです。写真のように、湿地からあふれた水に道が沈み、立ち往生するのも日常茶飯事。車がはまらないよう少しでも積荷を軽くするため、みんなで荷降ろしをしているところに出くわしました。でこぼこ道と、ところどころ傷んだ橋にひやひやさせられながら、ウトゥケ県に到着です。
出迎えてくれたオクィアさんは、この地域のグループのまとめ役。各メンバーと話し合ってそのシーズンの生産計画を立て、最終的に集めたシアナッツの品質をチェックし、出荷するまでを担います。登録している農家さんたちのリストを見せてくれました。今シーズンこのグループに登録しているのは758人。そのほとんどが女性です。
訪問した9月は、メンバーからナッツを買い取る時期でした。シアの樹は、12月から1月ごろに花を咲かせ、4月から5月ごろに実をつけます。この実は食べられるんだそう。食感はアボカドに似ているけど、甘いんですって。これを8月ごろまで熟させたのち中の種を取りだしたものがシアナッツです。
オクィアさんの案内で訪ねたのは、近くの村のアラムさんのお宅。葦のような草で屋根を葺いた伝統的なスタイルの家屋が並びます。
さっそく、樹のところに案内してもらいます。家のすぐ裏の、ピーナッツやトウモロコシの畑になっているところから、家からだいぶ離れた藪が生い茂っているところまで、広い範囲にまたがって数十本の樹が生えています。100本以上の樹を管理している家もざらにあるそう。いいバターのとれる、しっかり中身の詰まった実がつくようになるのは、樹齢20年を過ぎたころからだそうです。
「次は花の咲くころに来たほうがいいわ、そこらじゅう甘い匂いで、本当に幸せな気持ちになれるから…あぁでも、フルーツのころにもまた来ないといけないね」。シアの樹自慢は止まりません。我が子ともいえるシアの樹たちを背にして、ほほえむアラムさん。
「足元に気をつけて!赤ちゃんがいるから」と言われて驚いて見下ろすと、なるほど確かに、シアの樹の赤ちゃんがいました。
苗を植え付けるのではなく、落果から自然と芽吹いてきたものを育てます。シアが生えたいところに生やしてあげて、芽を見つけたらまわりの草を刈ってやるなど、シアが過ごしやすい環境づくりに気を配ります。
オクィアさんとアラムさんが選別作業を見せてくれました。今シーズン収穫し乾燥させたナッツを、大きさや中身の詰まりぐあい、傷の有無などで3段階に分けていきます。それはもう、目にもとまらぬ速さ!たくさんあったナッツがあっという間に3つの山に分かれました。小さかったり傷があったりする「グレードC」は自家消費用。次の「グレードB」は地元のマーケットで売られます。そして最上級の「グレードA」のみが輸出用によりわけられ、工場で加工されてバターとして日本に届くのです。
自家消費用に残されたナッツは、自分たちの手で油に加工し、家庭の料理で食用油として、また、乾燥や日焼けのダメージから肌を守る目的で、大人から子どもまで一家で使われます。シアの樹、そしてシアバターは、なくてはならない生活の一部なのです。
家族みんなで記念撮影。肝っ玉母さんのアラムさんがたくさんの子どもたちを女手ひとつで育てる収入を、シアナッツが支えています。「大きいのも小さいのも、大人も子供もいて、まるでシアの樹みたいね」と言うと、子どもたちがわっと笑いました。
オクィアさんから、この地域の人びとにとってシアの樹がいかに大切なものかを象徴するエピソードを聞きました。ウトゥケを含む北部ウガンダ一帯には、1980年代から活動を始めた反乱軍「神の抵抗軍(LRA)」の拠点が置かれてきました。オクィアさんやアラムさんの村も例に漏れず、反乱軍の略奪を受け占拠されました。畑は荒らされ、家畜は奪われ、抵抗した人びとは殺されました。子どもたちがさらわれて反乱軍のもとで訓練され、兵士として活動を強いられたという残忍な事実もあります。
2002年前後から、この地域に暮らしていた人の多くは攻撃を逃れ、国連機関が運営する国内避難民キャンプに避難しました。当然その間は耕作もできず、家畜も手放さざるを得ず、子どもの学校も閉鎖され、村の生活は一切止まってしまいました。しかし、こうした避難の期間中も、村の女性たちはシアの実を集めに村に戻ってきていたそうです。ときに警察官やウガンダ国軍の兵士を護衛に伴い、危険を冒しながらも、それでも守りたかったもの、それがシアナッツを集め、シアバターをつくること だったのです。
キャンプからメンバーが徐々に帰還し、このグループが輸出用のナッツをふたたび集められるようになったのは、2011年のことです。奪われつくし変わり果てた村に戻ってきたとき、家のそばで変わらず実をつけるシアの樹は、女性たちをどれほど元気づけたことでしょう。
家族、生活、そして人生そのものにずっと寄りそう、ウガンダのシアの樹。そんな樹がくれる恵みを大切にお届けします。